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(22/1/17)27年 [日記]

あの日から27年が経ちました。
特集番組を見ながら1995年の手帳を開き、色々思い出していました。
震災から8日後、中2の息子が先に疎開していた学友田舎に疎開しました。
約2ヶ月の疎開でしたが手帳によると毎週ゆうパックを送っていました。
何度か荷物を送っていたことは覚えていますが、そんなに送っていたとはね。
車で六甲トンネルを抜けて姫路から新幹線で一人で山口に向かいましたが、最初は着替えや必要なものを送って、後には何を送ったのかな? 

ライフラインの復旧は、電気、水道、ガスの順で、電気の復旧が早くて有難かったのですが、阪神・淡路大震災での火災の出火件数の約60%が通電による火災だったと後に知り、複雑な思いでした。
私が電気の復旧を喜んでいた時に・・・と思うと、、
《避難する時にはブレーカーを落とすこと》
阪神・淡路大震災から学ぶことだそうですが、逃げ出す余裕がある時はいいですが、そうでないときは、、、
そういう時の為に
一定以上の揺れを感知した場合に、ブレーカーやコンセントなどの電気を自動的に遮断してくれる「感震ブレーカー」という装置があるそうです。阪神・淡路の後にできたのでしょうか?

感震ブレーカーには内蔵型や後付け型など複数の種類があって、数千円程度で取り付けることができる簡易タイプもあるようです。
阪神・淡路の教訓を忘れず、有事に備えることは大切ですね。


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